良い人だと思ってたんですけどねぇ。
朝と夕方、殆ど毎日近所を大体30分ずつうろついています。
犬の散歩です。角のタバコ屋のあの子を見に行く為ではありません。犬と暮らす者の義務です。ボロアパートに住むお姉さんを覗く為ではありません。犬にうんこさせる為です。
この時間帯にうろつくと一応住宅街なので主に50歳以降の人達によく会います。
毎日家の前を掃除をする人、同じく犬の散歩をする人、自分を散歩させてる人。
テレワークor主婦夫or余生。
偶に、自分は元猟師で目の上の傷は熊にやられ肩の傷は銃弾が貫通した跡、なんて面白い御話をされる方もいらっしゃいます。
基本的にこういったすれ違う方々に積極的にあいさつをしています。
1人あいさつ運動です。
ですが残念ながら中学の生徒会でやった時のような、「あいさつをして皆仲良く心豊かに」等という清く正しく美しく(笑)な目的はありません。
もしもの時への備えです。
なんだって備えは大事です。
今は来月の予定さえ不透明な時代です。ビニール袋だって半透明。というかビニール袋すらない。
そんな時代では何が起こるか分からない。自分自身が何をしでかすかも分からない。
だから、もし自分が世間に知られるような罪を犯してしまった時、その時に
「そんな事をする人には見えなかった、真面目で良い人だとばかり。」
これを近所の野次馬に言わせたい。
それが1人あいさつ運動の目的でありもしもへの備えです。
自分の現状を顧みればそこにあるのは"無職の成人男性"
もし、これがテレビに流れでもすれば、全然発言を忍ばない彼に散々なじられネットでもなじられる。それが何を引き起こすか。それは同じ無職の人間への偏見の醸成。
無職だって理由は様々、一括りにできない。でも坂の上の彼はそんな事お構い無し。
だからせめて、良い子だったのに…が必要なんです。
資本主義社会からみたら駄目だったけど古き良き日本の人情を大事にしていた、という野次馬の評価だけでも残して、実はこの社会に問題があるのでは、と問題をすり替えていきたい。
地元の小中で優等生やってたのもそれが目的ですよ。殆ど喋った事もない自称親友に「頭良くて良い奴だったんすけどね」言わせる為。
全く一切これっぽっちも純粋に真面目な子だったなんて訳ではありませんからね。全部演技、今も演技。大人の言うことを聞く良い子だったのが理由だなんて断じてない。騙してただけ。絶対ない。俺はお前らの為の良い子なんかじゃぁなぁぁい!