勝手に改葬

来世で立派なメジャーリーガーストライカーになるために。

数が好きで恐くて

大きい数が好きで恐ろしいです。

 

昔から数字がどんどん大きくなっていくとワクワクしてしまうんです、それが何を意味するかは関係なく。

得体の知れない、決して全容を把握できない存在への好奇心。学校で億を超えていく単位を習った時の興奮はたまらんものがありました。

 

それも全て、数字が増えること、数がでかいことを魅力的に感じるマイナスの情操教育されすぎたせいです。

算数をまともに習う前からlv.100が最強という世界でふしぎのアメを崇めたり何千という攻撃力でダイレクトアタックし合ったり宇宙人の53万に震え上がったりとそういう教育を受けているから。そしてそれらが桁すっ飛ばして上がり続け今や兆を超す、という超ジャンプ的インフレを浴びてきたから。

ハンバーグ師匠みたいな人が書く小説だって取り扱う金額が町工場から国家事業へと雪だるま式にデカくなって行く。

1より百、百より万、万より兆、兆より無量大数

こう考えてみると自分だけじゃなくデカイ数字は皆が好きなのかもしれない。

 

ともかく、デカイ数字はただそれだけで魅力的に見えてしまう。

 

問題なのはこの数字への好意は時と場所なんて考えてくれなかったこと。

 

この好奇心が恐ろしい物だと知ったのは震災の時でした。

毎日のように街が抗いようのない力に飲みこまれる様子がテレビに映っていた時。

何千何万と増え続ける死者行方不明者の数を見てもっと上がれ、とワクワクしている気持ちが自分の中にある事に気づきました、ショックでした。

正直、うちの地域は大きな揺れこそありましたが水槽の水が溢れる程度しか被害と呼べる事は無かったので震災をそこまで自分事に考えることができていませんでした。でも大変な事は分かっているつもりでした。いっぱいの人が死んでいっぱいの人が苦しんでる、と。

 

なのに、なのに自分はそんな大変な目にあっている人の数が増えて喜んでしまっている。

とりあえずこの時は震災関連ニュースをできるだけ無視しました。

自分がサイコパスみたいに思えてくるのが怖くて。

 

それからはしばらくこの怖さを忘れていたのですが、最近のコロナ感染者数で思い出しました。

何百、という数字に物足りなさを感じている所が頭の何処かにあります。

 

別に人が困ったり苦しむ事自体を喜んでいる訳じゃないから問題ない、数字は数字、と無理矢理捉えてもダレニモ迷惑はかからないんですがこの不謹慎さ非情さ、それと"所詮安全圏の人間感"がとても悪に思えてなりません。

 

でもこのワクワクは俺のモンだ、とも思います。

捨てちゃならないと思います。

抱えてしっかり変な方向へ行かないよう監視して、言う時と場所を間違えないようにするしかない