恥心表明
最近毎日、といっても一週間くらいですがなんだかまとまりのない文章を書いています。
面白くなくてもいいから、という言葉を励みに書いております。
一応毎日書こうと思っています。
それで、何かをやり始める時は目標があるべきなんじゃないか、という思いに駆られて目標を書こうと思ったんですができませんでした。
1つは目標に苦手意識があるから。
何度か自分で目標を立てた事があります。
しかも目標はデカくという誰かが言った言葉を真に受けて中学卒業までに英語ペラペラになる!とか、半年後までに180度開脚!とか、一浪して東北大学合格!とか、無謀で適当な物を。 そして、これまた誰かが言った、目標は口に出す!を真に受けて積極的に言ってみたりしました。
でも全部口にした途端から、なんだか重荷になって考える事すら嫌になってできませんでした。
まぁ単純に全部計画無しだったっていうのが原因なんでしょうけど。
そうやって目標は立てたらダメになる、という失敗体験が積み重なっているので苦手です。
もう一つはなんだか恥ずかしかったから。
というのも、ハッキリした目標とか目的がないんです。
文章が上手くなりたいとか面白い物を書いてみたいとか自分を知ってほしい(某インク氏の受け売り)とかフワッとしたものはあるんですがこれ、というものがない。
それが恥ずかしい気がしたんです。
やっぱり目標はあるべき、という思想が根付いてしまってるんで。それにやっぱり目標に向かって一直線、というのはかっこいいじゃないですか。JUMP脳からすると。
でも多く見積もって2、3人しか読んでいない所で恥ずかしがっててもしょうがないんですねこれが。一見世界に繋がっているように見えてこっち見てるのは2、3人。
インターネッツの隅の隅。
そこで恥ずかしがってどうする。
そもそもゆっくり考えたら目標は別に必ずしも、ではないですね。
ちょっと書いてみたい気がしなくもないから書いてみる、それでいいですね、多分。
だってタダですし。誰も見てないし。
ちょっとでも書いてみたいと思ってるうちは書こうと。
ただ、そんな目標も目的も無いのに一応今んとこ書き続けていられる(短期間ですが)理由は明日はもう少し面白い物を書けるんじゃないかという薄っすらとした自分への希望と、隅の隅にわざわざ来てくれて2、3人が読んでくれている、という嬉しさです。誰かが見てくれているという事が嬉しいんだと知れたのは1週間目にして既にかなりの収穫でした。
ホントありがとうございます。
これからも気が向いたら、この世の全ての娯楽を消費し尽くして何もする事がなくなってからでいいんで覗いてやってください。