新しい言葉に恥を添えて。
今の経済状況は"泰山の安きに置けない"
なんでも"金科玉条"のように従えばいいわけじゃない
最近覚えた言葉。
「泰山の安きに置く」はこのちょっと長くて賢そうな事言ってんぞ感、それと泰山のTaizanとくにZの響きがカッコいい。
大抵Zとか改とか卍とか解があればかっこいい。
正直喋る度に使いたい、というかついつい使っちゃう。
ただ、新しく覚えた言葉を自分の言葉として無意識に使えるようになるには
なんでも使いたい期→恥をかく→自然に適切に使える期
と段階を踏まなければならない。
まずは使いまくる、というか使いたくてたまらないはずなのでどんな話題でも差し込んでしまう。
「XPERIAのクオリティは泰山の安きに置けない。」
「マックのアップルパイは泰山の安きに置けない。」
「多部未華子の顔は泰山の安きに置けない。」
意味が合ってるかどうかなんて関係ない。
使いたくてたまらないのだからとにかく使う。新技かえんほうしゃをコラッタにもヒトデマンにもイワークに誰彼構わずぶっぱなす。
覚えたばかりの言葉を使うと必ず顔に(俺、新しい言葉使ってんぞ)というドヤ感が出るし、頻度が多いから不自然極まりない。
よって誰かしらは指摘してくれるはずだ。
はい、かーなり恥ずかしい。 新しく覚えたから使いたいという欲、ちょっとカッコつけてる姿勢、意味自体があまりよくわかっていない等を全て抉られる指摘。
この恥ずかしさが必要ナンですっ。
恥ずかしいという思いによって言葉は強烈に脳に刻み込まれ
二度とそんな思いはしまいと適切に使えるように考える
かえんほうしゃはほのおタイプで、いわタイプにはこうかいまひとつ、くさにはこうかばつぐんだからくさに使おう、みたいに。
こうして自分の言葉として自然に、一切ドヤらず使える、
かえんほうしゃをナゾノクサに使ってギャラドスに使わないという冷静で的確な選択が可能になるのだ。
小学生三年生へ
金科玉条はあなたの想像しているそれではありません。