ブスで笑わせろ
「もうブスで笑いを取る時代は終わった。」
確か尼神インター渚の言葉だ。
多様性を認めよう、違いを尊重し合おうという時代の流れでお笑いも、人の劣っている部分(特に容姿など変えられない)をイジると批判に晒されるようになってきた。
確かに顔がブスな事や他にコンプレックスを抱いている人はそんなお笑いを見て傷を抉られるような気分になるかもしれない。
もちろん一般の人をブス呼ばわりして嘲笑するのは絶対にダメだ、最低だ、クズだ。
でもお笑いでは笑わせろ。
じゃなきゃブスが救われねぇ。
ブスはただ美人に比べて劣っていて醜くて不幸で誰も触れちゃいけない気まずい物、
それでいいのか?
俺は嫌だね。
美人は人を癒す。ブスは人を笑わせる。
ブスだって立派な才能だ。
ブスを全面に押し出したお笑いを見たら
ブスが原因で傷を抱えた人全員が悲しむかもしれない。
けどさ、人によって向き合い方は違う。
ブスを悲観的に受け止めている人ばかりではない。
受け止め方の違いに文句を言われる筋合いはない。
傷つきたくない奴は見るな。
ブスを使って人を笑顔にし、自分も楽しんでいる人に、それはブスが傷つくから良くない
、ブスは隠れてろ、なんて言っていいのか?それこそ多様性を無視してる。
ブスで泣く人がいるならブスで幸せになる人がいたって良いじゃないか。
ブスは必ずブスを嘆き悲しまなきゃいけないみたいな無言の押し付けが社会にはある。
一番嫌いなのはブスをイジられてる芸人に対して可哀想と言ってしまうこと。
彼ら彼女らはブスで笑いを取るし金を稼ぐ。
嫌だったら辞められるのに続けている、つまり
幸せかは分からないが絶対に可哀想ではない。
それをこちらの勝手な都合で不幸な人間にしてしまうのは最低だ。
幸せかどうかは本人だけが決められる。
押し付けは辞めろ。
テレビでブスをイジって笑っているのを見ると
真似するやつが出てくるじゃないか、等とクレームが出る。
でもそれを真似するような奴は虚構と現実の区別がつかないバカなので、たとえお笑いがなくなってもろくでもない事をするからなんら変わらない。お笑いには関係ない。
それこそ除夜の鐘を辞めた一件ほどに馬鹿馬鹿しい。
お笑いはプロ同士がお互いの信頼関係の上で作り上げたエンターテイメントだ。
それを現実社会で繰り広げるのは馬鹿。
もしやりたいなら相手の意思をしっかりと確認でき賛同してくれる者同士だけでやる、もしくはお笑いの世界に入れ。
と、今回は文句みたいだったんで敬語省いて書いてみました。
こういう文句を面白おかしく書けるようになりたいんですが、今はまだ考えをそのまま吐き出す事が精一杯でした。
結局何が言いたかったかというと
私は、ブスを全面に押し出したアインシュタインの稲ちゃんで笑いたいしアメトークの運動神経悪い芸人でも笑いたい。
そして自分も劣る部分をネタにしたい。
おでこのシワや急な二重、鼻のよこについたデカイほくろを。
単なるわがままです。
ただ、劣ってる部分から目を背けるより
笑える方が生きやすい世界だと私は思います。
くっせぇー
くさくて反吐が出そうだけどこればっかりはしょうがないよねぇ