"分からない"は時に人を傷つける。
今日は懺悔を。
往々にして男子小学生というものは人間の中で一番ガキだ。男というものは大抵ガキだと思われるかもしれないが、中学生以降の男には性欲が発生する。よって純粋なガキとは言えない。
小学生のうちが最も純度の高いガキなのだ。
常にどうやったら気分よく遊べるかしか考えていない、いや何も考えていないかも。
だからこそおはじきサッカーにさえも真剣になれるのだ。
しかしガキは時にそのガキさ故に人を傷つけてしまう。
男子と女子では女子の方が大人とよく言われるがそれは恋路についてのみ言えると思う。
普通に気が回るようになるか、みたいなことは男女関係なく個人の資質によるはず。
この"人を好きに"なるまたはそれを"理解する"ことに感しては圧倒的な差が男女であった。
この男女の心の機微を理解できるできないが、とても残酷な結果を招く事になる、というか招いた。
小6の時、どうやら1人の女子が俺の事を好きらしいと噂になった。以下A子
A子とは普通に仲が良かったがそれは特別な事ではなく、うちのクラスが男女関係なく喋るし遊んでいたからだ。
だが周りの男は大抵ガキなので人を好きという気持ちがどれだけ尊いかを理解できない。
オモチャとしか見れない。
よってことあるごとに囃し立てる。
それが非常にしつこかった。嫌がれば嫌がるほど盛り上がる。
まぁ他の人の時は俺もやっていたからおあいこなんだけどね。
授業中でも平気でやつらは仕掛けてくる。
うんざりだった。
そしていつの間にか囃し立てる奴が嫌だ、ではなく、その原因を作ったA子を嫌うようになってしまった。
それに加えて、けいどろやらドッジボールをすると
誰かが誰かをひいきしたりして上手く男女で遊ぶのが難しくなってきた。
遊びに支障が出るのが一番気にくわなかった
俺は人を好きになるということを悪と見なしてしまった。
だからA子の代理で2人の女子が手紙を渡しに来たとき、その手紙を投げ捨ててしまった。何の手紙かも分からないのに。
いや理由はまだある。
1つは代理が気にくわなかった。
当時恋愛についてはドラマや漫画での知識しかなくて、それによって出来上がった俺の価値観はなぜか自分の想いは自分で面と向かって伝える、という古風な物だった。
だから他人に手紙を渡させるのは気にくわなかった。
もう1つは恐らくガキに固執したのかもしれない。
徐々に周りの男も女も皆、人を好きになったりする事をへてぇ~成長をへてえ~大人をへてぇ~とバラバラになっていくのを薄々感じていた。ずっと皆で一緒にあそびたかった。俺はそれができなくなるのが嫌だった。
大人になりたくなかった。
(この間おっさんになりたかったという記事を書いているので明らかに矛盾しているが人間は矛盾だらけなのでどうかお許しを。)
そんで恋愛なんて物には見向きもしないぞ、という態度を手紙を渡しに来た2人に見せつけたのかもしれない。もしくは俺はまだまだガキのままでいるぞ、と自分に言い聞かせたのかもしれない。
ただこちらの理由など関係なく、間違いなくA子は傷ついただろう。あれがラブレターだったのならの話だが。違ったらただのイタイ奴。
もう少し大人だったらマシな対応が出来ただろうか。それこそおっさんだったら。
とにかくアーメン
ルワンダにはゴリラ、文句にはシャレを
ちょっと自己肯定感を高める為の記事を。
私は普段から
「他人が一生懸命な時ほどへらへらする」
をモットーに生きてまして、
特に文句の言い合いなんかはどうにか笑いに変えて終わらせられないかなぁと思う訳です。
それに口喧嘩で張り詰めた空気を笑いに変えられれば大爆発が待ってますし。
馬鹿と言われて馬鹿と返せば同じ土俵、けどそれを笑いに変えられれば同じどころか土俵まるごと投げ飛ばしてしまえます。
そんで今回は以前Twitterで言い合いが起きるのを未然に防ぎネタに変えた事例を紹介します。
以前Twitterで起きたやり取りです。
なんかしらのニュースの下にリプライで
「最近の声優って皆同じ声に聞こえる」
とありました(現在は消されてる)
腹立ちましたよ、声優じゃないですけど。
アニメ好きの一人として許せない。
お前の耳が腐っとるんじゃ!とか言ってやろうと思いましたがそれじゃあ何の意味もない。ただの憂さ晴らし。
釣りだったら相手の思う壺。
それに自分が言わなくてもアニヲタが参戦してくる。
苛立ちを抑えて考えました。どうにか笑いに変えられる文句を。。
私のリプライがこちら
確かに悟空やってる人と悟飯やってる人と悟天やってる人ってみんな同じ声に聴こえる
— ズリアゲ (@calcio_itaro) 2019年5月13日
どうですか?
分かる人は笑うはず…。
ドラゴンボール皆見てるよね?
義務教育だよね?
かなり上出来の切り返しだと自分では信じてるんですが…
このリプライによって完全に流れを変えました。
そんなことない!と返してればリプライ合戦が起きていたかも。
しかし、このネタによってリプ欄はヤッターマンの山ちゃんや、らきすたのくじらさんみたいな同じ声優が一人何役も勤めるアニメの羅列になった。
完全にネタ化しました。
気持ちよかったぁ。
笑いに変えられたのもそうだし
一部「その三人は同じ声優ですよ?」みたいなマジレスが来たのは例外として、
このネタを理解しさらに乗っかって来れる人がいたこと、このネタを共有した感覚を得られた事が堪らなく幸福でした。
やっぱり笑いってすごい。
最後に一番好きな文句というか悪口を。
フルメタルパニックという小説のヒロイン千鳥かなめが大男に絡まれた時に言った台詞
「私、ゴリラと遊ぶ趣味ないの。
聞けば、ルワンダじゃ内戦の為に絶滅寸前らいしわよ。こんな所に生息してるなんて驚きよねぇ。」
こんな文句がすらすら出てくる女子高生って…
ルワンダにゴリラが戻る事を祈っています。
かめはめ波を撃ちたい酒を飲みたい
齢6歳のある日、丸一日両手を向かい合わせて念を込めたのに気功波の欠片すら出なかった。悟飯の言った通りにやったのに。そんでビーデルはできたのに。
かめはめ波が撃てない事を悟った時は悔しかった。
たくさん宿題しようが速く走ろうがお手伝いしようがどうやったってできない。する資格がない。
亀仙人の弟子になることもできない。
せいぜいオレンジの胴着に身を包むかハゲにしておでこに6つお灸をすえるかぐらいだ。
行き場の無い悔しさ。
人生で悔しかった場面は多々あった。
受験で第一志望を落ちた時、部活最後の大会で負けた時、痔になった時…数え切れないほどある。
ただどれも挑んだ結果悔しかった話だ。
挑戦したものの準備やら力やら運が及ばなかったからそうなった。
勉強しなかった、走り込みがが足りなかった、トイレに長居しすぎた等々原因はある程度把握できる。
だから納得できる。
だけどかめはめ波は挑戦すらできない。 かめはめ波に限らず漫画に出てくる超次元的な力は全てそう。
(ちなみに一番好きな特殊能力は太陽の手、だって微妙に手が届きそうだから)
このもどかしい悔しさは一回切りだと思ってた。
新年早々同じ思いをした。
10年ぶりに。
酒だ。
うちの親戚は酒屋をやってたりして酒の話がしょっちゅう出る。
けど未成年者である俺には一切分からない。
本で読んだりして知識を得てみた所で実際に酒自体をこれっぽっちも飲めないから何も分からない。
知りたくても知れない。
くやっしい!
こんなに知りたいと求めてるのに!
もう少しで飲めるから更に悔しい。
さっぱり興味のない味噌の作り方や白蟻の生体だって学べるのに酒については学ぶ資格がないとはひどいでこざんす。
何千年も前から人類が魅了されてきた酒。
素晴らしい液体に決まってる。
もう少しの辛抱だけれども
あぁ早く二十歳になりたーーーい。
今日も小さくロマネコンティ、ドンペリニヨンと唱える。
早くおっさんになりたかった
年末年始には親戚で集まることが恒例の人は少ないもしくは多い。
いやだって日本人全員にアンケートととった事ないから正確な事は言えないし~
こんな中途半端な事言ってるとおじさんに間違いなく叱られます。
うちの親戚の集まりはそういうおじさんが多かった。親戚だけでなく近しい友人なども呼んでいたから。おじいさんや叔父さんや伯父さんやおじさん、まぁもれなく全員おっさんな訳で、色んな事をあーでもないこーでもないと顔を真っ赤にしながら喋る。
大抵の人は酔っ払いのおっさんは理屈っぽくてうるせぇと嫌がるかもしれないけど、俺はその場にいることが楽しかった。
それぞれ何かしら譲れない部分があって自分を持っていると思ったから。
そしてその頑固な部分を互いにすり合わせるどころか思いっきりぶつけあってしかも全く受け入れ合わないのに翌日はけろっと楽しそうに喋ってる。
羨ましかった。
年齢もバラバラなのに好き勝手語り合えるのが。互いを認められなくても続く関係性が。
俺が学校でお喋りしてるのとは違った。
俺は自分がどうというよりはその場を楽しくしようと喋る。だから基準は空気に合っているかどうか面白いかどうか。
自分の芯みたいなもんはなかったように思えた。
別にどっちが良い悪いはないはずだが俺に隣の芝は青く見えた。
そこから俺は無意識のうちにおっさんを目指した。
何に関しても断定的な意見を作って理屈っぽく喋るようになった。
そのせいもあってか高校ではじじぃと呼ばれた(これは不本意だった、だって俺はおっさんになりたかったから)
ただ最近気付いた。
何か物足りなかったし、アレルギー反応が出た。
自分の意見を正解だと信じて誰かと語らいしかも全く譲り合わずに盛り上がるというのは
ただの自慰行為ではないか。
誰かが存在する意味がない。
やはり俺は小さい自分だけの締め切った世界にとじ込もって埃まみれの空気を吸いながら生きるのはいやだ。
くしゃみと鼻水が止まらん。
とにかく、窓を開けて外の綺麗かどうかは分からないが少なくとも今の埃まみれとは違う空気を取り込んで、本も見映えよく並べて美味しいコーヒーでも入れて誰かを招く、そして次は招かれる。そういう自分が良い。
図書館にも美術館にも行きたい。
海で泳ぎたいし公園でサッカーもしたい。
よっておっさんを目指すのを辞めます。
わざわざおっさんにカテゴライズされに行くのは馬鹿だ。
人間は他人をカテゴライズした方が楽だからついついしてしまうが、自分をくくったらもうおしまいだ。自分であることを忘れてしまうから。
自分は自分。
中二がLINEの一言に書くくらいダサい言葉だかもしれないけど、いや中二はI am I と書くはず絶対。
なんでもそれっぽく喋れる等おっさんの良いところは頂戴しつつ…
とにかく窓を開けよう。
コミュ症は驕り、謙虚になれよ!
他人と何を話したら良いか分からない。
この悩みを持つ人はかなり多いと思う。
相手にどう思われるかが不安?
自分を買い被りすぎだ。
自分の話に相手が影響を受けて突如宝探しの旅に出たり競馬に全財産つぎ込んだりすると思ってる驕りの塊。
言い過ぎた。
自分が喋った事で相手に嫌われたりするんじゃないかとそんぐらいですかね。
謙虚になれよ!
人間は基本的に他人の話を聞いていないし、そう簡単には変わらない。
自分は周りに流されやすいと悩む奴もいるがそれは自分がそうしたいから、流されれば楽だからと無意識の内に自分自身で選択してるだけで、周りに従った訳ではない。
だから一度の会話くらいで嫌われる事はない。そこで嫌われたと思っても会話は関係ない、相手は端っからこっちを嫌いだったんだ。
これから嫌いな奴と話す、どうせ自分にとって嫌な事を言う、ほら言った、こいつはやっぱりきらいだ。こんな感じ。
誰かから薦められて趣味にハマったと言う奴も存在するが結局は以前から興味を持っていた事を会話で思い出しただけである。
会話ではせいぜい記憶へのトリガーが限界。
夕飯にネギが必要な事を思い出す程度の話。
つまりは日常においての会話に人に与える影響はゼロ。
だから適当に天気の話でも最近読んでる漫画の話でもするが良い。
途端に相手が写輪眼!千鳥!と叫びながら殺しに来たり、黄アフロになって鼻毛真拳を放ってきても、
それはお前が以前に相手の一族を皆殺しにしたり世界中の人間の毛を狩ったからであって
お前の誰も聞いていない会話など関係ない。
すぐに交番へ駆け込もう。
さぁ、誰に何を話したって良いんだ、意味のない会話を楽しもう。
そんで、
謙虚になれよ!
ブスで笑わせろ
「もうブスで笑いを取る時代は終わった。」
確か尼神インター渚の言葉だ。
多様性を認めよう、違いを尊重し合おうという時代の流れでお笑いも、人の劣っている部分(特に容姿など変えられない)をイジると批判に晒されるようになってきた。
確かに顔がブスな事や他にコンプレックスを抱いている人はそんなお笑いを見て傷を抉られるような気分になるかもしれない。
もちろん一般の人をブス呼ばわりして嘲笑するのは絶対にダメだ、最低だ、クズだ。
でもお笑いでは笑わせろ。
じゃなきゃブスが救われねぇ。
ブスはただ美人に比べて劣っていて醜くて不幸で誰も触れちゃいけない気まずい物、
それでいいのか?
俺は嫌だね。
美人は人を癒す。ブスは人を笑わせる。
ブスだって立派な才能だ。
ブスを全面に押し出したお笑いを見たら
ブスが原因で傷を抱えた人全員が悲しむかもしれない。
けどさ、人によって向き合い方は違う。
ブスを悲観的に受け止めている人ばかりではない。
受け止め方の違いに文句を言われる筋合いはない。
傷つきたくない奴は見るな。
ブスを使って人を笑顔にし、自分も楽しんでいる人に、それはブスが傷つくから良くない
、ブスは隠れてろ、なんて言っていいのか?それこそ多様性を無視してる。
ブスで泣く人がいるならブスで幸せになる人がいたって良いじゃないか。
ブスは必ずブスを嘆き悲しまなきゃいけないみたいな無言の押し付けが社会にはある。
一番嫌いなのはブスをイジられてる芸人に対して可哀想と言ってしまうこと。
彼ら彼女らはブスで笑いを取るし金を稼ぐ。
嫌だったら辞められるのに続けている、つまり
幸せかは分からないが絶対に可哀想ではない。
それをこちらの勝手な都合で不幸な人間にしてしまうのは最低だ。
幸せかどうかは本人だけが決められる。
押し付けは辞めろ。
テレビでブスをイジって笑っているのを見ると
真似するやつが出てくるじゃないか、等とクレームが出る。
でもそれを真似するような奴は虚構と現実の区別がつかないバカなので、たとえお笑いがなくなってもろくでもない事をするからなんら変わらない。お笑いには関係ない。
それこそ除夜の鐘を辞めた一件ほどに馬鹿馬鹿しい。
お笑いはプロ同士がお互いの信頼関係の上で作り上げたエンターテイメントだ。
それを現実社会で繰り広げるのは馬鹿。
もしやりたいなら相手の意思をしっかりと確認でき賛同してくれる者同士だけでやる、もしくはお笑いの世界に入れ。
と、今回は文句みたいだったんで敬語省いて書いてみました。
こういう文句を面白おかしく書けるようになりたいんですが、今はまだ考えをそのまま吐き出す事が精一杯でした。
結局何が言いたかったかというと
私は、ブスを全面に押し出したアインシュタインの稲ちゃんで笑いたいしアメトークの運動神経悪い芸人でも笑いたい。
そして自分も劣る部分をネタにしたい。
おでこのシワや急な二重、鼻のよこについたデカイほくろを。
単なるわがままです。
ただ、劣ってる部分から目を背けるより
笑える方が生きやすい世界だと私は思います。
くっせぇー
くさくて反吐が出そうだけどこればっかりはしょうがないよねぇ
自分は見えない
昨日久しぶりに証明写真を取ったんですが、
あれですね、自分が思ってる倍以上に犯罪者顔でした。人は誰しもそうなんでしょうかね。
これも顔が目に付いてて自分の顔を直接見ることができないせいなんですよ。
いくら外の世界が、友人の歯にひじきが挟まってたり鼻くそがターザンしてるのがよく見えても自分の顔を知らないとか
なんちゅう皮肉でしょうか。
外見と一緒で心の内もそう。
自分が何をしたいか本当は何を考えてるかなんて全然、ぜんっぜん分かんない。
近ければ近いほど分からない。
考えば考えるほど余計わからなくなる。
でも他人はよーーく見える。
俺なんかは周りの目を気にして気にしまくって来たから
あいつはソイツが好きなんだぁとか今キレかけてるとかツマンナイを飲み込んで楽しかったって言ったぁとかすぐ分かる。
もしかしたら外を気にしすぎたせいで
内を見ることを忘れてしまったのかも。
そもそも見えてると思ってる外の世界も幻かもしれない。
分かってると思ったって他人の頭を覗きこんだ事があるわけじゃない。
他人の心をあーだこーだヨソウシテ気持ちが悪い。でも全てが分からないと狂乱するから勝手に脳が予想を妄想とも現実ともつかない物を作り出してるのかもしれない。
とにかく心というものが分からない。
そもそも考えることが間違ってるかもしれない。
思うままってやつがいいのかも。
でももう考えすぎて思うままがさっぱり分からなくなってしもった。
と、とらドラを見て思った。
今はとらドラを見たばっかりで興奮と困惑と絶望と熱狂とか雑多な感情が渦巻いているからもう少し感情の波が落ち着いたら上手くまとめられるかもしれない。