ベジータに学ぶプライドのかたち
俺はプライドが高い。
職人が持つ仕事へのそれや崇高なる戦士のそれとは違う。
ただの虚勢みたいなもんだ。
本当にそうなのかは分からないが
いつからかプライドが高いとほんのり自覚していた。
高校の時、担任の教師に面と向かって
「あなたはプライドが高い」と言われた時か、
友人達と話していて冗談ぽく「お前はプライド高いからな~」と言われた時か。
いつからかは定かではない。
誰かに指摘された時はムッとして反論する。
なんとなくプライドが高いというのは悪い事に感じられたから。ベジータもプライドのせいで悟空に勝てないし。
だけどムッとするのは図星だからなのかもしれない。
本当の事を言われると人は怒ると日本一生徒の多い日本史教師も言っていた。
いつから自分にプライドというものが出来上がったのか。
小学校高学年の頃、とある友人の母親が、誰
に彼女が出来るのが早いかと言う話で
「あんたは理想高そうだもんねぇ」
と言っていた。
俺も口ではそんな事ない的な事を言ったが
心では
(俺に見合う女なんぞここらにはいない)と思った覚えがある。バチェラーじゃあるまいし。
ということは既に小6で俺は出来上がっていた事になる。
なぜだ。
父親がプライドが高いからか?
これは遺憾だが事実で最近ひしひしと感じている(詳細は割愛)
それとも小・中の成績が良かったのが関係しているのか。サッカークラブのキャプテンだったからなのか。
優秀な奴はプライドが高くなるのか?
そんな筈はない。出来杉くんは謙虚だ。
考えても答えは出ない。
だが最近の俺はプライドが高いとは少し違う気がする。
なんと言うか、保身に走ってる気がする。
別に守るべき身分などないのだが
勉強のできた自分、何にでも答えを出せた自分、親や教師に誉められる自分、それを優れた人間と崇めて称えて誇りに思って、
そんな自分を守って必死に追いかけて、そんな気分だ。
もしかしたら最初っから追いかけていたのかもしれない。
親や教師の言うことを聞く子供を「良い子」と定義付け(自分でもしくは周りが)、それになる為に必死に勉強もサッカーも頑張っていたのかも知れない。で、遂にそれが出来なくなっているから自分を見失ったのかも。
だってそうだ、今まで自分はありもしない虚像を目指して走っていたのだから。
プライドの話に戻る。
ということはこのプライドと言う奴は
今まで虚像を追っかけた自分を正当化するために生まれた物なのかもしれない。
ベジータだってそうだ。
周りのサイヤ人やベジータ自身が重い描くエリート像を信じていて、そんな自分を正当化しようとしたからプライドが出来上がってしまった。だからこの時のベジータはダサかった。
でも悟空に負けた後は違った。
虚像のエリートではなく必死に修行して自分で得た力にプライドを持っていた。
プライドを自分に向けられたのだ。
だから次々インフレする敵の噛ませ犬になってもかっこよかった。
俺も虚像なぞかなぐり捨てて本当の自分自身にプライドを持って生きたい。
ベジータになりたい、富士額は嫌だけど。
そう思う深夜だった