アンビリーバボーの未解決エンドは後味悪い。
才能
ジャンプに溢れる言葉だ。
いつも自分にも何かしら、カスタードをこぼさずにシュークリームを食べ切れる、くらいの才能をくれと願っている。
才能には色々ある、めっちゃ飛べるとか、めっちゃ真面目とか、日常系に1人はいるぐらいの金持ちとか、やたらと舌が長い、みたいな。
漫画やアニメの世界に置いては特に大事な要素で、様々な才能(能力、出自、仲間…)が交差して描かれる。
やたらと身体が強いと思ったら実は大魔王の息子でそんな彼には人間界のあらゆる強者が刺客として仕向けられるが持ち前の明るさと真っ直ぐな心でで皆を味方につける。
そんで才能といえば良いイメージばかり湧いてくる。
けど相棒やアンビリーバボー(アニマル100連発なぞというゴミ回ではない)ばっかり見てると全く逆を想像してしまう。
人は、殊に個人の能力の才能に関して
「才能を伸ばしなさい」という。
それが絵画なら、スポーツなら全く持って構わないはずだ。ゴッホになれるかも、履いた靴がめっちゃ売れるかも。
でもそんなんばっかじゃないはずなんだ。
人殺し
殺人に天賦の才を持つ人間だって。
もっと言えば、殺人を無感情で行う才、静かぁに殺す才、器用に後始末する才、痕跡を一切残さない才、警察を弄ぶ才…
よく考えれば殺人の天才がいない方がおかしい。
日本に限って言っても戦国時代には1割程武士と呼ばれる人殺し集団がいた。
そして今生きている人間は人殺しが合法だった時代を人殺しに加担しながら生き抜いたその子孫。
つまり給食の班に1人くらいは殺人がそこそこ上手い奴がいて学校に1人殺人の市選抜、みたいな奴がいてもおかしくない。
なんて事を日村氏のキノコ頭見ながら考えてると
人殺しをしまくった人達のおかげでこんにち、
ピュレグミ少なすぎ、将来金稼いで溢れる程食いてぇ
なんて妄想できる訳で
残るべくして残ってしまった殺人の才を
あいつはクズだとか欠陥品なんて切り捨てていいのだろうか、なんだかいけない所に辿り着いてしまう。
500年前はサイコパスをありがたがったのに今は忌み嫌う、なんて都合の良い事なんだ、と。
才能には好きな気持ちというのもある。
好きこそものの上手なれ、だ。
自分にはサッカーするのが上手いかはさておき好き、という才能がある。
だから毎日サッカーがしたくてたまらない。
だがこれがもし殺人を好きという生まれ持っての才能だったら?抑えられるだろうか。
恐ろしすぎる。
こんな感想も安全圏での話。
"安全な場所でいつも守られてるくせに。
散々嫌った後で味方になってくれよ
今日は暖かいな、ここは平和だな。"