「お前がやってみろ」は卑怯
サッカーU23日本代表が五輪予選敗退しましたね。協会会長田嶋氏と森保監督が猛烈批判喰らってます。
一度日本サッカーは痛い目に合えばいいのに、と思ってた私はしめしめです。
まぁ解任解任と叩かれてますが、どんなに批判派が大きくても必ず一定数擁護派は存在しまして、その言い分で
「彼らは頑張っている」
「お前がやってみろ」
なんて言葉を使う人がいます。
「彼らは頑張っている」は論外ですよ。プロですから常に結果が求められる立場であって過程なんて観衆には関係ありません。
結果あってこその過程です。
自分で書いててグサッときますね、まぁなんのプロでもないですけど。
問題は「お前がやってみろよ」です。
これ非常に卑怯な言い方で、なぜなら
言った方は相手ができないって分かってて言ってるからです。
テレビ見てメッシ批判してるおっさんがプロ相手に五人抜きできない事なんて分かりきってるじゃないですか。
そもそも自分がメッシだったらメッシ見ませんからね。メッシできますもん。
もひとつ卑怯なのが言葉通りじゃないんですよ。
言った方は実際やってみろなんて思ってなくて
本当は
「お前にできるか?できないだろ?できもしないくせに偉そうに言うな」
と言いたいんです。ちょっとマイルドにしてんですよ。
一見すると反論のしようがありません。
けどね、この論法でいくと誰も一切批判というものができなくなるんです。
許されるのは各分野のトップだけ。
でもトップの定義なんて曖昧だから常に偉そうに言いやがってという反発が生まれます。
松本派がいればたけし派もいてきっと小枝派もいてるんです。
でもそうじゃないよねって話なんですよ。
批判は誰にでもする権利があって、面白い試合や想像を越えるプレーが見たくてサッカーを見るし腹抱えて笑いたくてお笑いを見る。
だからやる気のない試合を見せられたら怒っていいし、笑えなかったら文句を言ってもいいはず。
ただ言い方には気をつけようねと。
しょーもない試合してもどんなにスベってても人格やら生命は脅かされてはならないよねって。
ここまで「お前がやれ」は卑怯と主張してきたんですが、この言葉、時に絶大な効力を発揮しまして。
アホな旦那が1年365日料理を作ってくれてる奥さんに対して
「こんな飯食えるか」ってほざきようなもんならすかさず「お前がやれ!」を叩き混むべきですね食いぎみで。
やってもらってるのに上から文句を言うのはあきませんね。口に合わないならどうにか伝え方はあるはずです。ね、お爺ちゃん。
結局言いたいのは「お前がやってみろ」は脊髄で物を考えてる奴の稚拙で卑怯で筋違いの言葉、けど場合によっては使える、です。
まぁ言葉というものはそれぞれの立場や関係性をよく理解したうえで使いましょう、と当たり前の結論にさせていただきます。